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血天井と唐獅子と三つの御紋@養源院

三十三間堂のすぐ向かいにもうひとつ気になるお寺さんがありまして。せっかくなのでそちらも伺うことにしました。

養源院

豊臣秀吉の側室、淀君が父である浅井長政の供養のため創建したのがこちらの養源院。その後一度焼失しましたが淀君の妹で2代将軍徳川秀忠夫人お江の方により再興されたそうです。
門の前にはおどろおどろしい「血天井」の文字が( ▽|||)そこ宣伝必要かなぁ。

養源院

こういうお寺の参道っていいよねー。

養源院

中に入ると若い住職さんが参拝客に解説中でした。次の回を待とうとしたら何ヶ所かを順繰りに説明してるので途中から聞いてもOKとのこと。
そんなわけで住職さんに解説してもらいながらお寺の中をぐるぐる廻りました。

伏見城の遺構を移築して再建されたと云われている養源院、なかなか興味深い見所がいくつかあります。

  • 看板にもある「血天井」

徳川家康が会津攻めで東へ出発した後、留守となった伏見城に石田光成が4万の大軍で襲撃をかけました。そこで留守を守っていた鳥居元忠らは1800名あまりの軍力にも関わらず奮戦してたのですがついに落城され、最後は380余名が後に移築された「中の御殿」に集まって切腹したそうです。
で、この事件がきっかけとなり関ヶ原の戦へ繋がっていくのですが…その為、鳥居元忠らの亡骸は戦の後始末が済むまで2ヶ月近く放置状態だったとか。いざ葬ろうとした時には伏見城の廊下には彼らの血がべったりと。どんなにこすっても取れなくなってたそうです。
そんなわけで伏見城を移築した際、亡くなった武将たちの霊を供養する為、その血がしみ込んだ廊下を天井にしたとのこと。これが「血天井」の言い伝えです。京都には他にも数ヶ所、同じように移築された「血天井」があるそうな。

すごく悲惨なお話なのですが住職さんが棒で天井を指しながら「はい、この辺が亡骸の跡ですね~。元忠はこんな風に右足を折り曲げて横たわってたようです~。」なんて説明されるとなんか違うような(^^;)うーん、そもそも血まみれの廊下を天井にするってのがなんで供養になるのかがよくわからない(汗)

  • 俵屋宗達作「唐獅子図」

養源院には俵屋宗達が描いた絵が数点あります。こちらも伏見の武将たちの霊を慰める為と云われてるそうです。
そしてそんなすごい有名な「唐獅子図」なのに受付の前にすでにスタンバイ。いきなりこんなとこに置いちゃっていいの?!もっともったいぶってもいいのに(笑)
杉戸に直接描かれた2頭の唐獅子は確かにかっちょいい。写真は撮れないので気になる方は「俵屋 唐獅子」で検索してみてください。
唐獅子もいいけどワタクシが気に入ったのは白像の杉戸絵。もともと想像で描かれた象って大好きなんですけどここの白象は潔くてパンチあるわ~♡

  • 3つの御紋が入った位牌

ここに安置されている崇源院(お江の方)と2代将軍家忠の位牌はよーく目を凝らして見てみると三つの紋が入っています。
天皇家の「菊」、徳川家の「葵」、豊臣家の「桐」、この三つの紋が刻まれた位牌は大変珍しいとのこと。天皇家と徳川家の関係が悪化しつつある状況の中、天皇家に嫁いだ家忠の娘、和子がどんな思いで自分の両親の位牌にこの三つの紋を刻んだんでしょうねぇ。
そういう背景も合わせてかなり特殊な立ち位置のお寺さんだと思うんですけど…逆にもう少しお高くとまっててもいいんじゃないかと心配になるくらい、なんかがんばってる印象のお寺さんでした(^^;)

養源院の御朱印

養源院の御朱印。書ける方がいなかったんですかね、別紙でいただきました。

養源院
住所:京都市東山区三十三間堂廻り町656
TEL:075-561-3887

Published in 2012 京都+松山

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